プログラム

ニューフィルム・ジャパン【日本招待部門】

日本を代表する映像作家の新作、話題作を上映する「ニューフィルム・ジャパン」は29の上映作品と1つのインスタレーション作品から構成される。
高品質メディアが身近なものになった現在、若者の間でカセットテープや即席フィルムカメラなどが流行しているのは、単に懐古趣味というだけでなく非デジタル・メディアの本質的な魅力を感じているからだろう。それは、光量不足で黒く沈んだフィルムのノイズから得体の知れない気配を感じる『ゼア イズ サムワン』が示しているように、ノイズに潜む未確認物体を、我々がずっと追い続けているということなのかもしれない。敢えて今フィルムで映像を手がけるということは、フィルムメディアのキャパシティ、広大なエマルジョンの大地に於ける、人間の認知能力を高めようとすることを意味するのか。奥山順市は『生ヒルム・ん!打々』の中で生フィルムに孔を穿ち映写機の光を解放する。その白く結束したノイズがスクリーンを照らす時、人は心踊らずにはいられない。
不明瞭に魅力を求めるのは、アナログの専売特許というわけではない。幾重にもオーバラップされた同じ景色が、やわらかな記憶の輪郭として表現される『Hydrangea』や、太陽の陰りが軸となった『rotation』、モザイク処理を揶揄した『AST*RISK』も、デジタルメディアならではの映像美に潜む視覚的な謎が観客を惹き付ける。
映画のストーリーに観客が求めているのは、未知なる事柄だ。独特のユルさがクセになる大力拓哉と三浦崇志の『monologues』と『ほなね』は、次々と頭に浮かぶ「?」が心地いい。面白さに理屈がいらないことは冠木佐和子のあけすけにエロティックなアニメーションが証明している。
人間ほどあいまいで魅力的な被写体はいない。かわなかのぶひろや大木裕之の実験的なドキュメンタリーでは、人間の感情、記憶、脳内に浮かぶイメージそのものを、映像としてスクリーンに現出させようと試みている。
3年間に渡って書き溜められた夥しい鉛筆画が素材となった『陽気な風景たち』はその圧倒的な存在感で観客の心象風景を呼び起こす”触媒映像”。人がスクリーンの向こう側に見つめるのは自分自身なのかもしれない。