シアター・イメージフォーラム(東京):9/26 18:30, 10/2 13:15
愛知芸術文化センター(名古屋):11/21 16:30
5作品80分
ポップな色使いとローテクな電子音で肥大化する欲望を描き、映画祭 /美術展を越境するウォン・ピン。「寓話1」に続く2作目は2つのストーリーからなるディストピア的世界のCGアニメーション。民主化デモ、新型コロナ禍、国家安全維持法施行など激動が続く香港で培われたシニカルな寓意とグロテスクなユーモア。子供向け、とは本人の弁。
老人と子供が海辺で出会う。子供は海水をすくい、砂浜に掘られた穴に注ぐ。神の視線のメタファーだろうか、謎のような冒頭シーンから一貫してドローンを使った俯瞰の視点で描かれている。やがてカメラは海から山へと移動。緊張感のある1カット映像が観客の視線を捕え続ける。ミニマルな手法と謎を謎のまま提示する大胆な構成が深い印象を残す。
幼女の話し言葉と水彩の絵柄の絶妙なコンビネーションで綴られる。伝統的な絵本の形式を踏襲しながらも、しかしここで語られるのは心温まる物語とはちょっと違っている。お爺さんに性的な暴力を受けた…。誰にも言えないその秘密は、現実と夢の境界が判然としない幼女には、いつかテレビで見たクマの縫ぐるみとウサギとゾンビの格闘に変貌する。
1923年にフランスで発売された9,5ミリ・カメラ「パテ・ベビー」が翌年に日本で販売されると「くみりはん」という愛称で人気を博し、戦前期の小型映画の流行をみた。そんな昔の9,5ミリフィルムへの想いを、フィルムというマテリアルにこだわって実験映像を製作してきた奧山順市がさまざまな視点と仕掛けから問いかけて実験した刺激的な世界である。
13秒間隔のインターバル撮影、多重露光、天体の定点観測、16ミリフィルム、そして30代の半分を占める5年の時間。21世紀のヘリオグラフィーという、美しい時代錯誤だというべきか。歴史となった光の詩学を顕在化する、孤独な太陽礼拝というべきか。意識を失う瞬間と意識が戻る瞬間が交差するような、作品中盤の色と音が忘れられない。